父はまだ元気だけれど。
うちの父はおちゃらけているという言葉が似合う人だ。お店に行っても持ち前の明るさとその雰囲気でまるで友達のように店員さんと話をしている。
親戚のみんなにも、すごくいい関係で。
お酒を飲みながらテレビに文句言ったりもする、そう言うちょっと明るめのお父さん。
家でも基本いつも通りだけど、子どもの前では仕事の話はしない!というようなスマートな父でもなく。
お酒を飲みながら母に愚痴っているのをよく見ていたなぁ。
そんな時はやたらと説教くさくて、真面目なトーンで日頃のちょっとした不満のようなものを言ってくるのでそこがちょっと嫌だなぁと思って居たり、今は真面目に話せるなぁと思ってちょっと言い合いして見たり。
でも何気なく傷つけるようなとこもあって、お前は社会で大変そうだよなぁ。なんて言われた時には、自分でわかってるのに父親がそんなこと言うなよ。って、すごく嫌だったし、悲しかった。こんな一言でもずっと覚えているのだから当時はすごく凹んだんだと思う。
大学入試の時の試験は小論文だった。
迎えにきてくれた父と車で帰る時、
父が試験方法に文句を言うから、またそういう批判かやめてくれよ。と思っていたら。
あんな紙一枚でお前の何がわかるんだ!!って言うから、理屈抜きに嬉しかった。それが悔しいって。笑
祖母のお葬式では父が喪主だった。
祖母は80を過ぎて居たし。まぁ大往生ということで、そんなに暗い雰囲気の葬式ではなかった。父もいつも通りの様子で対応していた。
だけど棺に花を入れるとき父は泣き崩れた。
そんな父を見るのは初めてで、涙といろんな感情が込み上げてきた。
最後に残ったのはこの父よりは必ず長く生きようっていう思いだった。生きる意味だなんてこういうことでいいんだろうな。最近忘れがちだった。
そんな父がさっき電話をくれた。
就活中の自分を案じてくれて。
電話越しに、すごい言葉を選んで選んでくれているのがわかった。
嬉しかったのはここ最近しばらくほっぽっていてくれたことだ、大丈夫?大丈夫?なんて焦るだろうからと言わないでいてくれて。
そんな折に、電話くれてその感じだすんだからさぁ、色んなこと思い出したよ。
小さいときは人一倍父に憧れていて、
子どもの時に父が乗っていたオデッセイが大好きだったし。あの時の夢は父と同じ会社で働くということだった。
兄と父と3人で朝早く起きて自転車乗ってちょっと遠くまで行ったこともあった。思い出したよ。立派だよ。すごいことだよ。
父と自分は全然タイプは違う。
同じ風には慣れないと思う、でもそんな父の子だから誇りを持って、その心の部分では近づきたいと思っている。
電話ありがとう。鈍感だから涙ぐんでるの全然気づいてなかったけどね。