24歳 春の感情体
最近iTunesに定額音楽サービスを利用している。3ヶ月無料なのでありがたい。
never young beach 聴いている。
(少し前に明るい未来がめっちゃくちゃ色んなところで流れていたね。)
最近といえば相変わらず迷走をしている自分だけれど、迷走も洗練されてきて、
普通に生きたいと願っていた少し前の迷走から
ある意味で吹っ切れてきている。
年下の人に会ったり話したりする機会があると焦る。わぉ、自分この子より全然しっかりできていないぞ。
年上の人と話すと思う、
わぉ、自分はこの人と同じ年齢になった時、同じレベルの苦悩を抱けるだろうか。
同級生達に触れて思う。
わぉ、真っ直ぐだ。
苦しみながらも
「普通」への希望や自分の未来への憧れを抱いていた二十代前半まで。
普通じゃなくても突飛な生き方で輝きたいというような思いが溢れていたんだと思う。
自分には隠れた才能がある。
普通に生きれる君たちとは違う生き方で、俺は輝くのだ。そういうおごりがあった。
だから、比べることをやめてるようで辞めていなかった。
人と比べなくなったではなくて、「比べないように目をそらしていた」が、正しい。
ここ1年と少しくらいこのブログを書いたり、
ずっとやりたいとだけ言っていた脚本を少し書いてみたり、映像作品を作る
というまぁやりたいと口に出していたことを実行させてきた。
大きな成果を、あげたわけでも人に誇れるようなものが作れたわけでもない。
それどころか、「普通」とされてきたことから
外れたことによって「普通」を出来ている人たちに対して後ろめたさ、直視しないで。という、社会的劣等感が少し芽生えたりしていた。
それでも、昨日までの言いたいも押し込めて、
やりたいこともほっておいた時までの自分よりは、自分でいることができてるんじゃないかと思う。
情けなさも人に対する依存体質。
色んなところが見えてくる。
1人にさせてと社会から身を置いいながらも
誰か繋がっていたいと願っているのだ。
それが昨日まで。
これから進むべきは、劣等感を捨て去った。
自分を生き、普通だとか比べたらしないでやりたいことをやっていくこと。
なんといったって望んだように生きられるのだ。これまでも苦しんでるくせして、望んだことをしていたんだから。
きっとなんとか生きていくんだろう。
誰にだって多面的に生きている。
明るいだけでなければ暗いだけでもない。
執着的であればサバサバしている時もあるだろう。その時々、1番自分が本当に望んでいる状態で入られるように生きようと思う、
望んだ世界はきっと明るいのだ。