さくらももこさんに1度も何も伝えなかった
さくらももこさんが無くなったの知ったのはバイトの休憩中だった。
え…と一瞬思ったけど、レジ締め早く終わらせて帰ろう、そして今日はオススメされたあのお店に行こう、そう思っているうちにそのショックはどこかにいった。
飲食店では注文してから来るまでに時間がかかった。時間つぶしにツイッターを眺めると
さくらももこに対する追悼の文が書かれている。
俺はそこでようやくさくらももこさんが
亡くなったことを思い出した。
アニメのちびまる子ちゃんは今でもずっと見ているし、亡くなったその日に
さくらももこに関することが3回あった、
①録画の容量が無くてちびまる子ちゃんの先週分が録画されていなくて、がっかりした
②podcastゆとたわという番組で、コジコジのモノマネを聞いた
③はやくおきた朝は。というバラエティ番組の録画をみていると、好きなアニソンにまる子ちゃんの主題歌だった「走れ正直者」が選ばれいた
他愛もないことだ、他愛ないことで同じ日のことでなければ忘れていたことかもしれない。でもそれはそれだけ日常にこの作品達がいるということだ。
それでも俺はずっと忘れていたのだ、
思い出してそんなことを考えていると、
ちびまる子の思い出と共に涙こみ上げてきそうになった。
そしてこの文を書き連ねていると注文したものが来た。そしてまた忘れてしまうのだ。
そして家に帰るとまた思い出す。
それを繰り返す。
こんなに触れて来た作品なのに俺は一度といって、さくらももこさんにファンレターを送ったりはしなかった。
それが大多数の人達で、別にそれで良いのだろうけど、一度も直接何伝えられなかったことを少し後悔した。
もう言いたくてもいえないから。
ちびまる子ちゃんは妹に似ていた。
だから好きだったのかもしれない。
こたつにくるまって生活するまる子、
起こされるも寝たすぎて泣くまる子
お腹をかかえてわらった。
アニメでは新しいエピソードが多いけれど、
たまにやる原作回は急に毒がきいていたりしてまたそれも面白かった。
こうやって死を惜しむことは、亡くなった本人のためというのは勿論あると思うけれど、この世界に残った人々のためという意味合いが大きいと思う。
本当は生きているうちにたくさんのことを伝えることが1番だとは思っている。
でも、そうはできないから、毎回こうなってしまうのだ。
さくらももこさんは
ちびまる子ちゃんを終わらせなかった。
だからね、ちびまる子ちゃんは永遠になった。また1日にさくらももこに触れる日が何度も何度も訪れるんだろう。
それはとても嬉しいことで、幸せだなと思うのだ。