今は丁寧な暮らしより、楽しい暮らし
引越しを間近に控えてしまった。
次の家では「丁寧に暮らせれば」そんな考えが頭をよぎる。朝ごはんをちゃんと食べて、お皿にもこだわって、部屋はいつも清潔でミニマリストのように整頓されている。
ベランダに小さい家庭菜園があって、
そこでバジルやらを育ててみたりして、磨いた石ころとか結晶を家に飾るのだ。
そんな感じの願望があるけど、
好きなアーティストの紹介文に「日常の小さな幸せ歌う」と書かれていた時、少し複雑な気持ちを抱いた。
映画の予告で、「これはあなたに贈る物語」みたいな、そんな紹介をされたように感じた。とりあえずこれ言っとけば「丁寧な暮らししたい人」にひっかかるよね?的な。
丁寧な暮らしにもそれに似た何かを感じるときがある。お前こういっとけば好きだろ?だ。あぁそうかも、だけど見透かされるのは避けたい生き物。
YouTubeにもTwitterにも丁寧な暮らしは溢れていて、再生回数も低くない。たくさんの人がそれに似た何かに憧れていることがわかる。なんで丁寧な暮らしを送りたいと思うんだろう。丁寧な暮らしってなんだ。
丁寧な暮らし、それは自分にとっては冒頭で書いたようなもの。一つ一つを慈しんだり、時間をかけて何か作ったり、清潔な暮らし、穏やかな感情で過ごせたり、時間に終われないことだ。
なんだよかなり難しい。そりゃそうだ、怒りたい人間なんかいないよな(怒りたい人はきっとどこかでストレスを溜めたりしてるに違いない。と思ってる)
でも、普通に生活してたら、バタバタするし、何かに追われるし、限られた時間でたくさん消費したいし、しなきゃいけない。
こんな時間にブログ書いてたら朝眠くてギリギリまで寝てるに違いないのだオホホ
調べていると、丁寧な暮らしのブームへの危惧や、批判も出てくる。
そんな余裕がみんなにあるわけねーだろってことだったり、原始的なことばかり良しとすんなよということなのかまぁ色々だ。
丁寧な暮らしって曖昧で概念すぎるからか、
人それぞれにならざるを得ない。
ある人にとっては家事代行をお願いしていたら、丁寧な暮らしとは言えないだろうし、乾燥機つき洗濯機で着る服をそこから取るみたいの生活も丁寧とは程遠いけど、
そうやっていく中で作れた時間をコーヒーを入れるのに使えたらそれは丁寧っぽい、よな。で、ゲームに使ってたら丁寧とはまた違う気がする。友達とボードゲームなら丁寧かも知れん。なんだその違い、自分のガチガチの偏見と主観が全面に出てきているやんけ。
なんだか、面倒な言葉なのか、丁寧な暮らしって。概念だけが浸透し過ぎて、理想像が出来上がりすぎて、達成するのがすごく大変に思える。
大体人それぞれの丁寧な暮らしがもっと自分の中で確立できていないと、丁寧な暮らしを丁寧に出来なそうだ。スローライフのドラマを1.5倍速にするのは違うって心の中で理解しているつもり。
それで俺は「楽しい暮らし」を送ることにした。自分の中のひねくれた部分も黙る最強理論。楽しいのが嫌なわけない、楽しい暮らし楽しみだなぁ〜。