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思いついたことをオチなく書き出すブログ

目指すべき姿(少し前に書いた


人に良く思われたい。
自身の道徳に反しないか、それを指標にしていたところがある。

自分に何ができるか、などの視点で自分をきちんと考えたことはなかったし、
なにができるようになりたいというぼんやりとしたものはあったものの
それが実行できていたことはほとんどない。

不自然で窮屈だったところから、立ち位置が変わってきたと感じる今に
改めて自身が目指したい精神状態、思考を考える。

客観的に自分を見ないで、すごく本能的に生きてきすぎた。
あらゆる欲求が強い。それがストレスなら打ち消す必要がある。
夜中に不安になるのは不健全だ、それをもっと冷静に見つめて鎮める必要がある。
他人頼ることなく。

自分自身で処理できる範囲のストレスしかため込まないようにしなくてはいけない。
唯一の一人にすべてを乗せてしまうことは必ずいい結果をもたらさない。
思春期から大人になるまでの間、変に依存先を見つけてしまうことは不幸にもなりうる、
人生の致命傷にもなりうる。問題になるのは失った場合だけど

少なくとも今は一人、身を削るほどの苦しみが嫌ならば、
やはり自分だ、自分の調子は自分で整えるべきだ。
辛いから誰かを求めるやり方もあるだろうが、俺はそこから脱却したい。

パートナーが居る居ないにかかわらず、
死にたくならないで済むように。

愛情の対象を広げるのがよさそうだ。
好意の矛先を枝分かれさせる。

身の回りの、家族、友人ではあくまで人だから
この場合はそれ以外にすべきだ。

例えば、建造物、だったり、作品だったり。
完成されているもの、不特定多数に対するもの、自分にだけ向けられていないものならば
存在している以上のものを求めることを自制する必要がないし、
受け取り方を自身で調整できる。自身の問題として処理できる。

知ることが何かを好きになれるきっかけのひとつ。
知識が0よりも、1でもあったほうが美術品などを楽しめる可能性もあがるし。

花や水面の煌めきが好きなのは自身の傾向として理解できている。
それから美味しいごはん。
これはその時の感情(寂しいだとか)に左右されないものとして非常に良い。
物語はその時の感情や自分の状態によって左右されるけど、逆に別の精神状態に引っ張ってくれるところもある。
「不特定多数に対するもの」に当てはまるし。

作品に依存しすぎるものよくないけど、コンテンツ消費に躍起になってしまうことは
時間が限れる人生において最善とは言えない。

配分は必ずしも自分で決まられるわけではないから。
良質なコンテンツに触れる必要があるわけではなく、あくまで自分が好きだと心底、
無駄だとそのあとの人生をひっぱるような時間の過ごし方でなければいい。
これは難しいけどね、どの時間が良いかは、とても難しい。

目に入れる必要のない情報、沸かす必要のない、思考や感情。
これらは極力脳内から、生活から排除するようにして
入れたい情報、知識、精神状態を保てるように意識する必要がある、
自身が突飛な人間ではないから大きく世間から外れることはできないだろうし、
逆にそこにコンプレックスを感じる必要もない。
存在しているものや、気持ち、まずはこれを飲み込むこと、
そしてここで、一旦一般的には・・・と知りうる限りの知識と比較するのをやめる。
どうせ誰かとは違う思想だし、みんなとイコールはないから、
社会とつながるときにその場に合わせるのが良い。

とにかく一人の時はできるだけ、脳に介入してくる外野の声をおいだして、
自分で選んだもので対応できるようになるのが良さそうだ。

どうせ自身に沸く感情などはこれまでに、蓄積してきた外的要因が混ざり合ったキメラみたいなものなのだから。
選ぶことも、なにもかもが。それならせめて、これまでの蓄積から最良だとできるだけ思える、自身の核
または、理想とするような感情、思想でありとあらゆるものを飲み込んでいくべきだ。やはり。
話が堂々巡り。ここで今日は終わる。