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思いついたことをオチなく書き出すブログ

隣の青い芝生を眺める幸せと明るい未来を望む話。

やりたいことはすぐやったほうがいいだの、行動が大事だのという言葉、

明日死ぬとしたら何をするかそんな気持ちを持って生きていきましょうというようなメッセージを受け取ることが多い。

時間は無駄にはできない、だから、やりたくないこと余分なことは効率化して、短時間で処理する。時短に時短を重ねる、テレビ番組を、1.5倍速で楽しんだり、果ては2倍速なんかで飛ばしたりとにかく多くのことをこなして、知識を吸収して視野や自分を好きなものを確立させたり、たくさんのことを娯楽とし楽しむのだ。

 


自分はわりとそれに従って生きている。

だけど、最近になって本当にそれが正しいのかということを疑問に思う。

 


死ぬ間際にあーしたらよかった、こうしたらよかったと思う人生は本当に不幸なんだろうか。海外に憧れている人がずっと行きたいと言い続けているだけで、実際には行かないみたいなこと。ともすれば揶揄されそうなこと、でもそれでいいんじゃないかと思う。

心の中にいつだって、憧れだけの桃源郷があったっていい。知って理解を深めることだけが、幸せではないと思うのだ。

同じようにがっかりすることもあるんだし、知れば次を消費したくなる。だから終わりはない、たくさんこなした方が幸せか?

消費や行動がやめられなくなってるだけなのかも知れない。わかっていても、俺はもうしばらくはあらゆる行動と消費が止められなさそうだ、モヤがあるまま。これは現代病だろうか。

 

 

 

それから中途半端な知識がいい方向にいかないこともよくある。変に知るから、思考が生まれる。自分の身の周りで起きてないことにまで意見や首を出したくなる。

どこかで得た知識だけで思考が生まれていたりする。良し悪しあるのは前提だ。これだって、ないに等しい断片的な知識からの意見だけど、心の性とかなんとか。体と心の性が一致しない病気という表現、病気かそれは?と思う。

それにそんなに興味を持てない、知らない隣人が誰に恋しようが興味がないのと一緒で。なのにそれが大きい問題になるのは嫌がるようなことをする人が居るからだろうか。よくするために言葉が生まれたのかな。わからないものに名前がついているとほっとするかな。人間比較比較の中で生きていくしかないから、必要だったのか。未来は定義の言葉が必要なくなるくらいにずっと良くなると信じたいな。

 

なんであろうが人を傷つけないように生きていけばそれで回避されることはたくさんあるのにと思う。

人間同士のこういう問題なんかなくればいいのに。もっと別のことにみんなが取り込むようになったら見たこともない世界に出会えるかもと思ったりもしている。未来からみた今の思考や社会や生活はどう考えられることになるのだろう。

歴史の授業で昔の人、と一括りされてた、した存在にいずれはなっていく。

江戸幕府の260年という長さを聞いた時、不思議な感覚になった。渦中に生きてた人はそれがずっとずっと続くと思って居たんだろうか、きっとそうだ。そう考えると時代の変化はとても緩やかなのだ、生きているうちに爆速で考え方は変わっていってくれないかな、江戸幕府の4分の1くらいしか頑張っても生きられなさそうだ。そう考えると少しの変化しか感じることはできないのだろうか、少し寂しいことだ。