世界のでき方
こないだの記事で260年の江戸時代であんまり大きな変化はないから、おれが生きている間に見れる変化は教科書で数ページにしか満たないと思うとどこか寂しいというのを書いた。
それからぼんやりこのことを考える。
今でも、おそらく子どの時思い描かれていた未来の世界にたどり着くの数年の間には無理だ思う。
ネコ型ロボットはいないし、バック・トゥ・ザ・フューチャーの世界も実家可能なのはきっとずっと先なのだ。
そうした現実を知って、なんだ、全然じゃんとがっかりしたのもまた子どもの時。
でもその時から、がっかりしてる俺をよそ目に世界は着々と進み始めて、出来る様になったことが増えた。
いきなり空飛ぶ車ができるわけなくて、声で操作するものができるわけなくて、
みんなの考え方が切り替わるなんてこともなくて、これまでの人類のコツコツとしたより良い世界にしたいという思い(儲けたいでも別に良い)のおかげで、便利になったり、不平等な扱いを受けている人が少しずつ、少しずつ減っていくのだ。
教科書に名を残したいわけでもないし、載ることはないのだろうと思うが、世界を良くしてきた人たちの一員に未来でなっていれればなぁと思う。
生きているとなんでこうなってるの?と、不満が募ることも多いが、過去にいた名を知る人たちたち、名も知らぬ人たちのおかげで、そう思わないで済むことや、ずっとずっと楽になっていることが沢山ある。てか、生活の全部がそれと言っても過言ではない。
世界は悪い方向に向かっているという言葉をよく聞く、それは確かにそういう面もある、でもずっと良くなってきたこともある。
感謝と問題意識みたいなものを心の隅にいつでも置いておければと思う。
とはいえ、未来への興味は尽きないな、覗けるよ!っていったら覗く自信ある。
あー、感謝とか秒で忘れてこのあとヘラヘラしてる自分の未来は数分後なのにーー