平成しか知らない
平成に生まれたのだから、平成しか知らないという当たり前のことが、次の元号に移る時になって妙な期待と自分自身にも何か影響があるみたいな不安を感じさせる。
だからとりあえず、振り返る事にした。
書いてみたら意図せず長文になってしまったので、のんびりと読んでくださいな。
幼稚園くらいからよくテレビを見ていたと思う。
アラレちゃん(いつの間にか終わっていた)
戦隊モノはタイムレンジャー、ガオレンジャー、ハリケンジャー辺り。
平成ライダークウガも見ていたが少し怖かった記憶がある、でもデザインがカッコいいと思っていた。
NHKも見ていて、
ウエンツ瑛士が天才テレビくんに出ていたり、天才ビットくん、などを見ていたことを覚えている。
アリスSOSなどアニメの内容ら覚えていないけど、曲だけ覚えているとかもたくさんある。
人形劇の前の「お話のくに~♪」とかね。
ロボットパルタも好きだった。
小学生の頃にはドラマも好きで、
大好き5つ子をみたり、
朝ドラ「ちゅらさん」でエリー役をやった
国中涼子が初恋の相手といっても過言ではない。
田舎だったから観れるドラマは限られていたけれど、観れるだけ観た。
熱烈的中華飯店というマニアックかもしれないドラマは、面白かったけど家族は他の番組が見たいからと一人別の部屋で見ていた。
中でも覚えているのは、
コース料理か何かで出すはずのエビがない!!という問題を、卵をなんとかエビみたいにして乗り切るという話。
どういうことだという感じだけど、子ども心にすごい!!と思ったのよ。
今でも中華料理が出る場面では良くこのドラマのテーマ曲が使われているのが嬉しい。
2006年に放送された白夜行では1話目で小学生が人を殺すのだけど、その重い空気に引き込まれた。
ちゅらさんでは、ねぇねぇと姉を呼ぶ可愛い少年だったのに君は一体どうしてしまったの!!と暗い雰囲気を出してきた山田孝之に思わないでもなかったけど。
「あいくるしい」には、神木隆之介(声変わり前)が出ていて同級生くらいなのにこの子ほんとかわいいよなと思っていた。
日曜劇場は家族をテーマにしてるような番組が多かった気もする。
「誰よりもママを愛す」では、この枠常連の田村正和が奥さんのことが大好きな夫を演じた。
そして子どもたちに言うのだ
「お前たちのことはママの子どもだから好きなのだ。」
なかなかにすごいセリフじゃないか?
この頃あたりで自分が親に大切にされているのは、血が繋がっているからだ。と思っていて、それがすごく嫌だった、もし違う子どもに生まれていればこの2人は自分のことをなんとも思わない。
そう思うとなんだ辛かったのである。
でもまぁこのセリフでスパッと言ってくれたのでなんだか悩みも飛んだような気がしないでもない。
その日曜劇場枠「オヤジぃ」に関しては殆ど内容は覚えていないものの、
主題歌を歌った、花*花の
サーヨナーラ大好きな人~♫のメロディーか妙に耳に残っている。
しかし野球の中継でドラマの放送が遅れるのは日常茶飯時、野球には興味なかったから
憤慨していたのは言うまでもない。
兄と父は野球が好きで。巨人ファン。興味こそないが、リビングで流れる野球を見ていたせいで、
阿部慎之助とか、なんだかその辺ばかり覚えていて、知識がその辺で止まっている。
ちなみに、サッカーはドイツのオリバーカーンがちょっとシュワちゃんに似ているという理由で好きで、そこで止まっている。
アイドル界は松浦あや 、モーニング娘がいた。プチモニを幼稚園か小学生の運動会で踊った記憶と、慎吾ママのおはっー!を踊った記憶がある。
それからソーラン節なんだか色々やらされましたな。
小学生の頃、ふとしたことで入院したことがある。それまでの自分はゲームが結構好き。
クリスマスにゲームボーイカラーをゲットしてからは
ポケモン銀
(赤も家にあったが、従兄弟から兄に渡ったもので自分に許されたのはポケモンセンターを歩き回ることと。その前の草むらを歩くことだけだった。)
に、始まり
ドラクエのイルとルカ、スペースネット(マニアックなゲームかもだがどハマりした。
しかし、途中でデータが消えること多数で最終クリアしたことはない)
コロコロカービィ(背景夕焼け).
ゲーム機本体を傾けてカービィを転がすというめちゃ可愛い操作方法のやつ。
ゾクゾクヒーロズは付属のフルチェンジャーという機械を使って変身するというまた凝った作りになっていた。
ワリオのゲームは主人公が無敵でゲームオーバーが存在しないという、マリオが苦手な自分には画期的なゲームであった。
とにかくゲームボーイカラーにはお世話になった。
たくさんまとめている方がいたので貼っておく。
http://katwoooooooon.hatenablog.com/entry/2015/09/24/120000
同時期かそれよりも前にファミコンを叔父から貰い受けて、マリオカートや、ファミスタ、スト2もやっていたのが、懐かしい。
もともと歴史は好きだったが、
戦国熱に身が入った。
最初は剣好き故に上杉謙信を選んで、
ズーーーットやってた。
ゲームをやりだすとクリアするまでひたすらやり続けるような子どもだった。
普段特別仲のいいわけでもない兄と、
戦国無双は度々協力しあった。
自分はいつも2P。
ミッションをクリアしていくというより、
最速で敵大将の首を狩るというのを目的にしているせっかちプレイヤーだったので、好き放題やりがちな2pで納得していた記憶。
我が家では据え置きに関してはソニー派を貫いていたから、ゲームキューブは友達の家でやった。
自分のじゃないゲームの自分のものじゃない感はすごい。スマブラとか今やっても弱いと思う。
999円になってるゲームをゲオで買い漁る(個人的ヒットは鬼武者。帰りの車で説明書読む時のワクワク感は異常)日々を送っていた俺だったが、ある時入院することになり、
初めて漫画を買うことになる。
それまで漫画は「ゲームは自分で行動を選べるのに、完全に決められた物語を辿ることしかできない」と思っていて、
それでいて1冊400円は高いだろ。と思っていた。少ないお小遣い999円で楽しめる鬼武者を前に漫画を買うという発想はなかったのである。
ちなみに幼少期は兄がコロコロを買っていたのでボンボンを買っていた。
その前はてれびくんが大好きで、なかなか
買い替えをしないので親に促されてようやく
ボンボンに移行したのだった。
入院時の鋼の錬金術師への、
ハマり方は尋常ではなく、
最初に所望したのは鋼の錬金術師の漫画であった。そこから漫画ってめっちゃ面白くない?と
漫画史上主義時代に突入する。
まず買いたい漫画を調査するために、
マガジン、サンデーなど買ってきてもらい
面白い漫画をピックアップ。
マガジンからは絶望先生が選出された。
サンデーからはその時からか、あとからか
西村博之の作品にハマった。
ワンピース、ガッシュベル等の王道は兄が買っていたので、自分は別の路線に向かっていったような気がする。
それに、始まりがハガレンで、ガンガンも買い始めたためにソウルイーター、君と僕。など
スクエニ作品は抑えまくっていた。
ガンガンパワードという隔月刊の姉妹紙まで買っていた!
この頃は行き先はゲオではなくブックオフに変わり漫画を立ち読みしたり買いあさったりしていた。
中学生に上がった時は好きな子が銀魂とリボーンが好きだったので話を合わせるためにいそいそと買い集めたのが懐かしい。
そんな漫画とゲーム激動の中、
小学3年の頃家にパソコンがやってきた。
一家に一台と呼ばれだした頃だろうか、
最初はWindowsに備え付けられた
ピンボールやラミィの冒険2(神ゲー)をひたすらにやったり、ダイソーの100円ゲームに手を伸バス程度だったが、
徐々にブラウザゲームに手が伸びる。
シフトアップネットや、ぱんぞう(学校のパソコンで唯一できた)、そして
シフトアップネットのリンクから、
ネクストフレームや、SKT
すいかが食べたい、BABARAGEOなどに手を出していた。
この後フリゲームにもハマり、
洞窟物語やElonaに莫大な時間を費やした。
ネット漫画では新都社という誰でも投稿できる無料の漫画サイト(この時は画期的)などを読みあさっていた。
真面目なものもふざけたものも楽しく読んでいたが、妄想少年、でぃらん、ピーチボーイリバーサイドあたりは今読んでもかなり面白いと思うだろう。
別だが堀さんと宮村くんも好きだった。
パソコンの利用法の転機としては、動画が観れた事。
PVがYouTubeという「得体の知れないサイト」で観れた時の感動は計り知れない。
最初に見たYouTubeの動画は、
あんなに怪しげに思われていた(少なくとも身の回りでは)アップロードのサイトが今やこの規模のものである。
映画がパソコンで見れた時は驚いた。
最初に見たのは「インストール」。
神木くんが上戸彩の胸を触るシーンは伝説である。何がすごいか、いやらしくないということだ。
実際に映画館で最初に見た映画はハリーポッターの第1作、
親は毎年夏に公開されていたハリーポッターを夏休みの宿題が終わらないと連れて行かないよ!という脅しに使ったが、残念ながらこの少年はじゃあいいか…と悲しみにながら諦めるような子どもであったために、途中でそのイベントは消えた。
テレビではランボーやホームアローン、そしてターミネーター、ジブリ作品が何度も登場した。中でもターミネーター2はとても好きや作品でシュワルツェネッガーに惚れ込んでいた。少林サッカーも懐かしい。
何がきっかけか高校の頃、邦画を借り漁っていた。田舎ので旧作1つ80~100円。
新作を借りる意味が理解できなかった、
1つで旧作2つ3つ借りれるのに!と。
インスタント沼は今でも好きな邦画、
麻生久美子好きもこれからで、
監督繋がりで時効警察などにもハマっていく。
中学生を卒業するとき、皆ほとんどガラケーだった。スマホを使っている人は少数派、そもそも携帯の保持率もうちの学校は半数以下だっただろう。
高校生になり携帯をゲットしたけれど、
まだガラケーだった。
スライド式、多分アクオスの画面がでかいやつだ。ワンセグとかでテレビが観れたのは懐かしい。スクショもないが、
パケ放題で通信制限はなく、低速化などという言葉が無関係のところにいた。
しかし、パケ放題じゃない同級生が使いすぎて高額請求。そして親に怒られたというのはよく聞いた話だった。
友達とのメールは楽しくて、
女の子で特にドコモの子は壮大なデコメールを毎回のように送っていてマメだよなぁ。と思ったものである。
高校卒業する頃、ようやくスマホが普及しきってきてた。俺はというと、大学1年のクリスマスにようやくiPhone5を手に入れたのだ。
今ではスマホないなんて、考えられないことだけど。
友達と下校していると、大変なことになってるって!っと知ら人に声をかけられた。
田舎といえど珍しいことで、
不安な気持ちにかられた。
家に帰ると学校から連絡が来ていて、
テレビから想像できないニュースが飛び交う。
自粛ばかりでACのコマーシャル
「こんにちは〜、ありがと〜♫」
とか、未だに脳内再生できる人も多いだろうな。
防災訓練などでよくみる映像は阪神大震災のものだったけど今はもう違うんだろうか。
ブッシュ、オバマそしてトランプ氏キャラ濃い。日本の総理大臣は沢山変わったな。
ポルノグラフィティが大統領の名前は覚えてなくても自分の信じてた夢は覚えていてと謳っていたことを思い出した。
自分の信じていた夢は何だろうな。
お化けは信じていないけど、おばけを見たいと思ったことがあった。
ネットにはこれを読んだら呪われるとかたくさんあって読み漁ったけれどついに呪われることもなく、チェーンメールは嘘だらけだった。
鉄腕ダッシュで、どこまで電話が届くかみたいな企画も嘘だった。
九州の田舎の家まで届いたわけでたいしたものかなと思った。
電話といえばバリバリ家庭用FAXを使って従兄弟と落書きを送りあっていたの懐かしい
な。
従兄弟は夏になると東京から訪ねてきて、
一緒に遊んだ。
家の近くにある駄菓子屋に
ドラゴンボールのメンコがあって
それがお気に入り。毎日のようにしてた。
そんな東京に降り立てたのは、
高校の修学旅行の時、
スカイツリーはまだ建設中だった。
東京といっても普通の街かー、とあの時思った。人が住む街だから、異世界ではないのは当たり前だったのに。
2020年のオリンピックが先だと思っていたら目の前で、次は万博が決まった。
インパクトがある。
でも、もう少し平成は続く、
言葉だけの変化かもしれないけれど、
言葉の定義は想像以上に重たいものだ。
平成が終わる前にもう少し続きが書けたらいいと思う。