誹謗中傷批判の行き着く先はどこだ
この流れ誹謗中傷をした人が追い詰められて自殺したらどうなるんだろう
対応が取り返しつのつかないことの後なのは仕方ないのだろうか。
自身もテラハの感想などこのブログでも書いた、最初は消しても仕方ないことだと思ったからそのままにしてたけど
また、読み返すと過熱してたのは確かで、気分がいいものじゃないと思ったから非公開にした。自分だってそうだ。
傷つけられた人たちの周りや、本人に心を寄せるのは当然必要だし、当たり前のことなのだけど、さらにその度を超えた罵詈雑言を振りかける人たちの事情は本当に気にしなくて良いんだろうか、どう考えても死から遠くて幸せな日々を送っている人とは思えないんだよな。結構精神的に辛い日々を送っているのではないかと思ってしまう、だからってなにを発言していいわけでもないのは、わかっている、、
でも、本当にこの流れで解決していくのか、何かモヤモヤした感情がある。
この流れも見えている気になっているだけで、おかしくない正常なことなのかもっといろんなことが水面下であると思うべきなのか。
なんでこんなことになっているのか、立ち返らないとまた別の媒体や方法で同じことが繰り返し起きるんじゃないかと思ってしまうのだ。
これまでずっと人間はこうだったと思うからだ、だから知識や教育の部分で根本をどうにかしなくては立ち切れないものなのではないか。
匿名でどんなことでも話せる場所で、起きたこと、行き着いたと言うよりは「そうだった」。人間ってそうなのだ。
日常生活にもひどいこと言う人たちがたくさんいる。みんな思ってることがある。
人前に出るからひどい言葉をかけられても仕方ないというよりは人間がそうなので、多くの人の前に出ると必然とそうなるのではないか、あんまりだけど。「そうなっている」という感じだ。
子どもの時も、大人になってからもわざと相手が嫌がるような言葉を言ってニヤニヤする顔、何度だって見てきた。小学1年生の子がそうなのだ。なにがそうして、そうさせているのか、
そこからも見てあげないといけないと思っているし、自分もそれをかえりみる必要があると思っている。