築数十年のその記憶の一欠片に
退去日を迎えて、遂に引っ越しが完了してしまった。「余韻に浸って悲しくなるのもそれはそれで趣がある」という思考にはまだ至れない。寂しいのは辛い。
だから、友達と遊んで気を紛らわすが、帰る時間になれば、それなりの時間がかかってしまうから書いてしまう。
到着駅に国分寺を設定してしまったあたり、4年の時を感じた。
4年だって。
色んなことがあったよな、本当に。
この家は従兄弟と内見して決めた、大学卒業ギリギリに会社に受かったものだから、スピード感のある決定。
福岡で3万円で広いところに住んでたのに6万円も払って狭いところに住めるか!と確固たる意思を持ってしまったせいで、東京郊外と呼ばれるここまで流れ流れ着いた。
乗り入れ、そしてある程度職場に変動があっても1回乗り換えくらいで色んなところにいける、災害時割と良い地盤などなど考えているあたり、過去の自分の真面目さをうかがい知れるエライ
離れているからあまり東京に住んでいる友達は遊びにこなかったものの、それ故に辿りついた人たちは縁深いことが多かった、全部見てきた家。
悪いことが3つあったら引っ越そうとか呟いた記憶ある。でも、結局嫌なことが何回あったかも覚えてない。良いことの方が覚えている。数で勝る。
家からしたら中々安定したスケジュールと人生観で生きていない俺を不安に思ったかも知れんな。
半年くらい週末にしか帰らない生活を送ったり、家を撮影場所にしたりして。
意地汚い俺も、誰にも見せられない俺を囲ってくれた、どんな時も俺の実情を一番よく知ってた。
破壊した洗面台と、カーテンレール、結露して汚れた箇所。使いこなせぬIH、ゆっくりと動く玄関のドアノブ。積もる雪、斜めの洗濯機置き場。狭いけど、高い天井の窓から差し込む光が好きだった。
夜照らしてくれてると思った月明かりが、隣の家の外灯だった笑あぁ思い出した、お酒を飲んで朝方帰った時、その光がすごく神秘的に見えたなー、月であれよそこはー笑
思い出深い年月、泣いたり、誰かを泣かせてしまったりした。めっちゃ笑った、電話した、手紙を書いた。プレゼントを送った、ゲームした、映画見た、ドラマ見た。
白い壁のおかげでプロジェクターが置けた、ありがたい、そして使わぬ据置冷蔵庫。
当然家に気持ちなどあるわけない、それなのに、いつかワンルームの狭い部屋が心強い何かに感じていたよ。
俺の住んでいた証がクリーニング
で消えても、住んでいた事実は、その時俺が住んでいたことは、消えやしないのだからな。
築何十年のその記憶の一欠片に俺をそっと置いておいてくれよな。
新しい家に幼児退行で戦闘を挑んでも意味ない
次に住む家の中を見た。
工事中だったから物件決めるときは見れなかったの、結構自分主導で決めてなかったのもあるのだけどそれはさておき、間取りはワンケー。
台所は今より広い、収納も十分。
風呂もトイレも別だけどさぁ、部屋がさ、めっちゃ狭いの。ヤダヤダヤダー(T . T)
と幼児退行したところで広くなるわけでもなく、私はつい先日齢26にもなってしまったのだからこんな文を書いていてはいけません。
引っ越すことは決まっている以上
部屋が狭い事実誰か遊びきた人が、せまwww
とか言ってくる可能性があるかもしれない未来予想図を描きながら生きていく必要がある。
部屋に来てなんか欠点あげてくるやつはダメだよな、知ってるわ!って思うか、それでもわしは住んでるんやぞ!コラ!と怒りに見せかけた悲しみの気持ちになってしまうからである。
だから駅からめっちゃ遠いじゃんwとかもいうなよぉ!
てか開封してた牛乳飲んだからかお腹少し痛いんだよ〜、でもホットにしたんだよ〜
悪いやつ死滅してよくない?
熱パワーがんばれ
でね、引っ越しの準備とかしてるわけよ
あともうすぐで荷物運ぶんだよ。
こんなんで引っ越せるのかなぁ、
調味料はできるだけ処分したいと思ってるんだよなぁ、油は友達の家に持ってって揚げ物して貰おかなぁ。
まぁ頑張るわ、あ、今年はついに献血行くかも、すごくね?俺にとっては結構な一歩だよ、自分の血液型まだ知らないからさぁ、一大イベントだよ。わかったら応援よろしく〜。ねる!
今は丁寧な暮らしより、楽しい暮らし
引越しを間近に控えてしまった。
次の家では「丁寧に暮らせれば」そんな考えが頭をよぎる。朝ごはんをちゃんと食べて、お皿にもこだわって、部屋はいつも清潔でミニマリストのように整頓されている。
ベランダに小さい家庭菜園があって、
そこでバジルやらを育ててみたりして、磨いた石ころとか結晶を家に飾るのだ。
そんな感じの願望があるけど、
好きなアーティストの紹介文に「日常の小さな幸せ歌う」と書かれていた時、少し複雑な気持ちを抱いた。
映画の予告で、「これはあなたに贈る物語」みたいな、そんな紹介をされたように感じた。とりあえずこれ言っとけば「丁寧な暮らししたい人」にひっかかるよね?的な。
丁寧な暮らしにもそれに似た何かを感じるときがある。お前こういっとけば好きだろ?だ。あぁそうかも、だけど見透かされるのは避けたい生き物。
YouTubeにもTwitterにも丁寧な暮らしは溢れていて、再生回数も低くない。たくさんの人がそれに似た何かに憧れていることがわかる。なんで丁寧な暮らしを送りたいと思うんだろう。丁寧な暮らしってなんだ。
丁寧な暮らし、それは自分にとっては冒頭で書いたようなもの。一つ一つを慈しんだり、時間をかけて何か作ったり、清潔な暮らし、穏やかな感情で過ごせたり、時間に終われないことだ。
なんだよかなり難しい。そりゃそうだ、怒りたい人間なんかいないよな(怒りたい人はきっとどこかでストレスを溜めたりしてるに違いない。と思ってる)
でも、普通に生活してたら、バタバタするし、何かに追われるし、限られた時間でたくさん消費したいし、しなきゃいけない。
こんな時間にブログ書いてたら朝眠くてギリギリまで寝てるに違いないのだオホホ
調べていると、丁寧な暮らしのブームへの危惧や、批判も出てくる。
そんな余裕がみんなにあるわけねーだろってことだったり、原始的なことばかり良しとすんなよということなのかまぁ色々だ。
丁寧な暮らしって曖昧で概念すぎるからか、
人それぞれにならざるを得ない。
ある人にとっては家事代行をお願いしていたら、丁寧な暮らしとは言えないだろうし、乾燥機つき洗濯機で着る服をそこから取るみたいの生活も丁寧とは程遠いけど、
そうやっていく中で作れた時間をコーヒーを入れるのに使えたらそれは丁寧っぽい、よな。で、ゲームに使ってたら丁寧とはまた違う気がする。友達とボードゲームなら丁寧かも知れん。なんだその違い、自分のガチガチの偏見と主観が全面に出てきているやんけ。
なんだか、面倒な言葉なのか、丁寧な暮らしって。概念だけが浸透し過ぎて、理想像が出来上がりすぎて、達成するのがすごく大変に思える。
大体人それぞれの丁寧な暮らしがもっと自分の中で確立できていないと、丁寧な暮らしを丁寧に出来なそうだ。スローライフのドラマを1.5倍速にするのは違うって心の中で理解しているつもり。
それで俺は「楽しい暮らし」を送ることにした。自分の中のひねくれた部分も黙る最強理論。楽しいのが嫌なわけない、楽しい暮らし楽しみだなぁ〜。
コンプレックスに立ち向かえ令和2年編
今年はなんか色々変わっちゃう。去年も言うていたか?
どうせ変わるなら色々変化はあった方がいいと、今年の抱負は盛り沢山だ。
コンプレックスに立ち向かいたいと前も書いたけど、それは放置されて1年とか2年とかほっておかれた。
それもこれも明記しなかったからだと思う、俺のコンプレックスは普通に考えれば多すぎて、もうなんかそうなるとどうでも良くなっていたのだ。だから今書く。
・痩せる
・滑舌をよくする
・悪い癖を治す
上から行く。いつだってここに書くことは赤裸々だ。
痩せる。
去年腰痛に悩まされた、腰痛と一言でいうのは簡単だけどかなりやばかった。
痛すぎて歩けない日々が続いた。
結局整体の人がよくしてくれた、言われた理由はお尻の筋肉が無いことだ。
腰痛も今はほぼない。だから筋トレもできる。
思い切ってリングフィット買った。
食生活も変わってきた、痩せるのはきっと時間がかかるけど、気長にこなしたい。
滑舌をよくする。
これは長年の悩み、促音化構音、1番目を背けたい悩み。昔直すために最初のバイト代7万円くらいを全て注ぎ込んだ。飛行機代入れるともっとかもしれない。でも治せなかった。
これはリベンジ。大人でも見てくれる言語聴覚士の人がいるみたいだ、またこの大きなコンプレックスに立ち向かう気でいる。頑張りたい。
悪い癖を治す
これはたくさんある。きっと自覚ないことでもある。思いつく限り直したいことは
・爪を噛んだら削ったりする癖を治す
(爪同士で削り合わせてしまうのがさきで、それをたまに噛んでちぎってる。野蛮かよ)
・箸の持ち方が微妙に違うこと
(指摘されて、その場ではなんでそんな細かいことを言うのだろうとそのとき思ったのは事実としてあるのだけど、気にさせるのは嫌だし、言わないだけで思ってる人が沢山いるのかと思うと何かこわくなってしまった。そしてその時言ってくれたことは、大きな機会だと思えた。なので今直そうとしている。が、常にあの持ち方ってキツくない?何かを半分にしたい時とかさ…ずれちゃう、慣れかな。)
あ、あと字が汚いこと
書き順がめちゃくちゃで指摘されたことある。
でも書ければいいだろ?って思ってしまった。
だから本当に気にしてなかった。
悲しいことは箸な持ち方も筆順も、
俺ができていなければ教育が悪かったとか育ちが悪いとか言われることだ。
それはとても悲しい、両親は善人だし、きちんと教育しようとしていた、優しかったし。
指摘されても無視続けたのは自分なのに、
小さい時に言ってもらえなかったんだね可哀想にっていうのは本当に心苦しい。
なので、あらゆる自分の問題を解決していけたらいいなと思う一年。
それから抱負に
スターウォーズを見るだとか、ディズニー作品を見まくるだとかもある。抱負にしなくてもきっと達成したのだけど、なんかそういっとけば無駄に達成感あるのだ。
人生もps4 のゲームみたいな実績解除とトロフィーを設置すればやる気になるのかも、そういう発想。
最近韻を踏んだりして友達なんかに送りつけて遊んでいる。文字だけ、なんの話か、これは息抜きの話。
まだまだ抱負増え続けさせたいし、
なんかまだあった気がする。まぁそれはまた別に書くとして。コンプレックスに進行形で立ち向かえてるのは結構良いよな幸先。と思うギリギリの1月。
いつも物語を考えていて
始まりは小学生の時の国語の授業。リレー小説を班で作りましょうとなった時からだ。
そのとき、物語を作るのって少し楽しいかもと思った。授業が終わった後も家で1人、物語を考えた。
あのときジャングル大帝に影響されていたからか、それは動物が冒険する話だった。
目的は忘れたけど、みんなで氷が浮かぶような冷たい海に流される。主人公達はイカダでそこを進むのだ。でも結局書いているうちに恥ずかしくなってやめた。物語が思い浮かばなかったからかもしれない。
それからずっーーっと時間が流れて、大学生になったときまた物語を考えたいなと思った。確か友達が関係していた。ゲームを作ろうとか言われたのがきっかけだった気がする。
どこに発表するわけでもなく、誰も読まないブログに話の設定だけが放り込まれた。
短めの話もあったけど、何かから影響を受けまくった安直な話だったと思う。
結局ゲーム作りの話はいつのまにか立ち消えて、大学卒業するくらいにまた、何か物語を作りたいと思った。自分の進路を考えたときに好きなことに立ち返るとここに来た。実際何の役に立ったとも言えないけれど。
仕事は置いておいて、何か物語を完成させたいと思った俺はうんうんと頭を悩ませて。大方の設定やキャラクター、世界観を考えた。
冒頭の展開も考えた。でも中身が何も思いつかないで展開してくれなかった、正確には思いついても面白いも思えなかったし。好きでもなかった、ただ思いついただけの展開だった。
それから結局物語は完成しないで卒業した。
でも卒業してからもずっとその物語を胸に持っていた。時々広げてはみるものの、ある箇所から一向に進まない。そしてまた閉じる。それが続いてあっという間に3年が経ったけど、結局今は冷凍保存されている。
だけど代わりに別の物語を作ろうとしてきた、新しく思いついて空っぽにして。それを繰り返した時、創作で大切なまずは完成させる。ということが自分にはできないんだろうと思った。
致命的だ、物語を考えるのも実はそんなに好きなことじゃないのかもしれない。
そんな中でも懲りずに話を考えてきた。
開き直っていつか完成すれば良いと思った。
殆ど場合躓くのは物語の終わりだった。自分を重ねてしまっている主人公が何を選んで終わるかということがどうしても決めることができなかった。何故か。それは俺自身の考えが人生ついての考えがまとめきれていないから。
だから俺は何か大きな決断をして終わらせなくては死ぬまで完成することができないのかと思っていた。
それでも悩み抜いた先に答えはあった。
ひたすら進まない文字とにらめっこを繰り返しえして、初めて最後が思いついた。
いやぁそれで完成するかなんて全然わからないけどね、それでもすごく嬉しいのだよ。思いつけたから。完成したらきっとこれは自分のお守り。
アイドルの恋愛
最近俺の好きなアイドル、眉村ちあきが好きな人が出来たという報告をツイートしていた。
言わないとモヤモヤするということらしい。
ファンの中ではいろんな意見が出ていた、応援する声や、ショックだとか、でももうアイドルとは名乗れないんじゃないか?とか。
これまでの俺の短い人生の中でも沢山のアイドルたちが卒業して結婚したり、グループ在籍中に付き合ったり、妊娠して脱退してきたといあことはいくらでもあった。それはアイドルにカケラも興味のなかった俺ですら知っていることだ。だから、アイドルに恋愛的な感情を持つことが結果的にそういうショックな気持ちを誘発させるのは明白なことだと思う。なのに、みんな繰り返すのはマジで好きなんだろうなと思う。
人は心の中にいくつか人格があると最近思っている、だから、本当の自分の意見がどれかはともかく、ある出来事に関して思いつく意見は1つではない。
今回この告白を受けて俺は、
「それは言わなくて良いことだ。正直なのが必ずしも優しさではないとおもう。」
「眉村さんらしいな。ファンに正直な人だな。」
「話しかけるのすごいな、頑張れ」
など。たくさんのことを思った。(浅い
でもアイドルでもさ、人である以上は恋愛するし、自分の個人的な幸せを何処かで追い求めるのはこれまでの沢山の人を見ても何ら不思議なことではないことだと思う。
眉村さんが好きな人出来たのは意外だった。彼女のハイスピード感や、ファン大好きな感じを見ていると誰か1人との恋愛がちっぽけなものに見えたり、誰かを1人を選ぶということがすごく遠く思えたからだ。あれ、そういう発想をみんなしてきたのかな。
しかしまぁ、アイドルなら恋愛しちゃいけないというのは謎理論なのであって…。
だって天皇でも、恋愛結婚するだぞい←
この短い人生の中で。
こうも人生が短いと、その目的の為にショートカットしなくては行けないと思ってくる。あらゆる欲求を最短で時間をかけずに叶えてあげるのだ。
自分のために。でもそのうちに欲求は増えすぎて矛盾し始めて、それが難解を極める。
睡眠欲、食欲、性欲。本能的な願望は1日のあらゆるところで顔を出す。でも、脳みそで考えているところだと、自分はそれを満たしてあげたいとは思っていない。
これまで完成させてきていない情けなさを忘れて口を開くのなら、俺は物語を書き終えたい。それは多様性を認めて自分を1番に助けてくれるような話。そして自分を助けるために書いたその物語を誰かに読んでもらって他の誰かを救ってほしい。そのことを忘れていたのだ。
最近の俺は物を消費する病気だった。好きなだけ映画を見た、好きなだけ食べた。好きなだけ寝ていた。そこに小さな目的はあっても大きなものを存在しなかった。
行動の1つ1つがある目的向かっているということがなくて、ただ流れていた。
俺はそれから脱却しようと思う。まだ死が見えない時間を生きているが、その時はこれからきっとくる。その時のことを思えば、これまでと同じように生きているのは問題だ。何かを後悔してずっと何かを妬むような、俺は俺だと無理に言い聞かせて何かから目を背けるような、そういう事をしたくないのだ。
これまで曖昧に決めてきたものをどちらかに振り切って考えるようなことが大事なのかも。上手くやるにはどうしたらいいのだ。参考なる人は今の所周りで思い浮かぶことはない。
同窓会や、まぁまぁ仲良かったくらいの友達の結婚式に行くことはこれから先二度とないと思う。基本的に断るだろう。
こないだ久々に高校時代のある友達が連絡してきた。要件を言わなかったり、内容を言わずにその日が空いてるのか日程を先に聞いてきたからその段階で内心イライラしていたけど、さらにその先にたどり着いたのは「面白いビジネス」の話だった。最悪だそんなのは良くある話に俺は異様にストレスとイライラを感じた。きっとこれはこういう人生への焦りのせいだ。自分の時間をドブに捨てるようなことをさせられたからだ。知らないものに闇雲に顔を突っ込むのはもう経験した。ロクでもないものばかりだよ。
自分の中でやりたいんだよ。と小さくても言ってる声に耳を傾けてあげたい。そんな感じだ。