誹謗中傷批判の行き着く先はどこだ
この流れ誹謗中傷をした人が追い詰められて自殺したらどうなるんだろう
対応が取り返しつのつかないことの後なのは仕方ないのだろうか。
自身もテラハの感想などこのブログでも書いた、最初は消しても仕方ないことだと思ったからそのままにしてたけど
また、読み返すと過熱してたのは確かで、気分がいいものじゃないと思ったから非公開にした。自分だってそうだ。
傷つけられた人たちの周りや、本人に心を寄せるのは当然必要だし、当たり前のことなのだけど、さらにその度を超えた罵詈雑言を振りかける人たちの事情は本当に気にしなくて良いんだろうか、どう考えても死から遠くて幸せな日々を送っている人とは思えないんだよな。結構精神的に辛い日々を送っているのではないかと思ってしまう、だからってなにを発言していいわけでもないのは、わかっている、、
でも、本当にこの流れで解決していくのか、何かモヤモヤした感情がある。
この流れも見えている気になっているだけで、おかしくない正常なことなのかもっといろんなことが水面下であると思うべきなのか。
なんでこんなことになっているのか、立ち返らないとまた別の媒体や方法で同じことが繰り返し起きるんじゃないかと思ってしまうのだ。
これまでずっと人間はこうだったと思うからだ、だから知識や教育の部分で根本をどうにかしなくては立ち切れないものなのではないか。
匿名でどんなことでも話せる場所で、起きたこと、行き着いたと言うよりは「そうだった」。人間ってそうなのだ。
日常生活にもひどいこと言う人たちがたくさんいる。みんな思ってることがある。
人前に出るからひどい言葉をかけられても仕方ないというよりは人間がそうなので、多くの人の前に出ると必然とそうなるのではないか、あんまりだけど。「そうなっている」という感じだ。
子どもの時も、大人になってからもわざと相手が嫌がるような言葉を言ってニヤニヤする顔、何度だって見てきた。小学1年生の子がそうなのだ。なにがそうして、そうさせているのか、
そこからも見てあげないといけないと思っているし、自分もそれをかえりみる必要があると思っている。
足りないものがわからないうちに
自分に足りないものが何かわからないうちにおいて死ぬんだろうな
言葉とかなんの質量も持ってないのにね
見てくれている人がいてびっくり!!
ここのバージョン2のような形でブログ変えました。(これまで何度かそんなことやってきたけど)
Twitterに投稿しなかったのに見てくれてる人いたんだ!びっくりだよー、ありがとうー!
https://daysripple.hatenadiary.jp
これまでは感情的な吐露だったり、思想の吐き出し口としてこれまで書いていたけど、次は本当に自分が思ってることや、あった事が書けるようになるといいなと思って心機一転ですね。
繕った思想を言うのはもう終わり
これまで自分がその時々で正解だと思ったことはわりと間違っていたことに今頃気づいた。
余計な一言、一晩考えて出した結論でも、結果後から良くなかったと思うことも多くて。
何かにつけて考えたり、意見を持ったり、情緒のある人間でいたいという考えが自分を繕い続けてきた。何かをいう時、皮肉を言う時、思う時
そうでありたい自分のようなものが、言葉を発して考えた気になっていた、
何かを言葉にしていくことは理解を深めることもあるかも知らないが、自分の場合は言葉で固めてしまうことでそれを浅いものに、遠いものにしてしまう気がする。
借り物の言葉と思想、元々は思慮深いものであっても、自分がそれを自分の意見に取り入れてしまって発した時、それは途端に戯言になる。
間を埋めたくて、相手が少しでもクスッとするように、言葉を埋める自分、これまでずっとそうだった。
思い返して飽き飽きするような、恥ずかしい気持ちになった。もうあまり誰かに自分から連絡する勇気がない、なんと中身の無い言葉を発していたのか。
曖昧なものだったのにわざわざない語彙力と知恵で、自分の理解できる言葉に当てはめてしまっていた、説明もなにもできていなかった。
自分の考えなんてなくて、触れてきたものを、近くにあったものをぐちゃぐちゃに自分の中で溶かして、吐き出すだけの機械のようなものだ。辟易だ。思想などないのにあるフリをしていたんだと思う。
見に見えない世界とか、気持ちとか、概念とかそういうことばかりに気を取られていた、そして少しは他人が理解ができたと、自分をより深く知れたと、勘違いした。そして、誰かを傷つけたり、呆れられたりした。
もうほんとにそういうのは嫌なのだ。
周りも見渡してみても、自分と同じよう人はいない、すごく幼いのかもしれない。客観的に自分を見れたのなら、どう思うんだろうか。怖い。
自分が特別というつもりもないけど、精神的に成長できてきているとか、そんな気持ちをどこかに持ってしまっていた。
これからは何かにつけてよくわからない思想を持ち込んだりしないで、観測するような気持ちで物事を見てみたい。
そう考えていたら、美味しいもの食べる時、水が陽の光を反射するとき、花を見つけたときその辺りが本当に好きなんだなと改めて思った。
不安だが、これまでよりフィルター無く人の話を聞けたり、好きなものがより濃く見えるような気がしている。
書く。書く。といって
物語を書いていますとかいっておいて、書き続けて表に出せているのはこのブログだけだ。
昔国語の教科書に、芸能を志すなら上手くなってから人前でやるわとかいってないでさっさと表に出ろという話があったけど、ずっとその教訓を飲み込まないでいるのだ。
書いているけど、できてないわ…と思いながら書くから話が進まないし、戻ってやり直したりしてる。書き始めてやっぱりここはこうしたほうがいいかと思って、新しくその部分を書いては、やっぱり最初書いたやつ結構いいじゃんとかなっている。
これじゃあ終わらないよな。
でもこの一つ目は今年終わらせたいというのが実は少しあって、別に区切る必要はないんだけどね。環境が変わると考え方も、少し変わっていくから、先延ばしでずるずるすると永遠に終わらないんだということがわかった。ある期間ではじめて。ある期間で終えたい。今の自分にしかかけないことな気もする。なので最近寝不足。仕事中に眠くなるのマジでダメだよなー
でも、少しずつでも人生の環境が変わったことで、終わり方をなんとなく見つけられたのはよかった。前は終わり方に答えを出さないでいて、悩んでいたけど、その壁は越えた。
次はどうやってそこに辿り着くかというところ。でも話考えるって本当に難しいことだね。
ドラマチックな展開が得意ではなくて、
その面白味には欠けるかもしれないけど、後で自分で見返したときに、
お守りみたいな作品になるといいな。
全面に自分の思想やら、姿を投影してしまっているけどね。自己満だけど、書き終わったら何処かに投稿するわ。まじ。今日5月8日か…。来年また同じこと書いてませんように!笑
追記:理想は今年書き終わって、来年度から少しずつ発表すること。日付の決まっている話だなら、実際のその日に合わせて投稿していければいいかなと思っている。
3月20日が1話。
それ以降年2くらいでなんか作品かけたらいいなと未来ばかり明るいのであった。
小川とパンと卵焼き
これは小川と言っていいのだろうか、もっと自然な感じに出来てるのが小川かもしれないけどこれを小川と今はする。
水面に反射する光がとても好きで、もうまじで憂鬱日でも反射を見ると一気にウキウキ気分になり写真に撮る。
これは本当数日前の写真。
自粛期間というものに自分は沿って行動していて会社や食料品の買い出しなどには行くけれどそれ以外は出かけていない。
元々自分には引きこもり気質があれど、同時に寂しいと思う気持ちも平行していて、
定期的に誰かに会ったり、連絡をしないとダメなところがあった。
だから、自粛期間も最初のうちはやたらめったら、友達に連絡したりして大して盛り上がらずに話が流れたこともある。
でも昨日は友達と6時間くらい電話していた、
やはり俺は話すのが好きなのだ、心底思ったことを話せる人間は限られている。
なんでも言える相手は数人しかいない。
それでいてグループの付き合いは苦手、それから自分以上に話す人も苦手。
めちゃくちゃ自分の話したいってことなのかな、俺は結構わがままに友達を作っているんだろう。
でも毎日ずっと電話しているわけでも無いし、1人の時間はせっせと料理をしている。
幸いコロナに関係なく今の仕事は終わるのが早いから作る時間があるのだ。
今は卵焼きを練習している。
それで身につけたいのは2つあって
①綺麗な卵焼きをつけること
②片手で卵を割れること
①は今日ついに10回目を迎えた。でも、上手さ伸び率は低下していて、何回やってもクルッと巻くことができない。まぁそれでも美味しそうだからいいんだけどね、フライ返しを使えば形が綺麗。
②は出来るようになったんだけどねという感じで、なんなら1回目の挑戦の段階で割ることができたのだけど、どうしても白身透明トロトロ部分が手についてしまい洗うのは手間だよなと感じでいる。もっと上手く割ればそれすらもなくなるのか。
最近パンも作ってみた。
オーブンレンジのオーブン機能を俺は甘くみていた、意外とちゃんと作れる。
オーブンを別個で買うのも検討していたけど、必要なさそうだ。学んだことは、予熱が大事。
1回目
ちぎりパンなのに全然別のパンができたのだ、まじかよ失敗じゃんと思ったけど、フランスパンみたいにカリカリですごく美味しかった。
でもそのカリカリが皿洗いでは疎ましい存在だったりする。
2回目
1回目の反省を踏まえて、油の塗る量、焼き上げる前の固形具合、ドライイーストの発酵具合、などなど調整をした。
まぁ割と成功なのではないか、気になった点というならめちゃくちゃ油を使ったことであるが、くっつくのは嫌だけどあの量のサラダ油がめり込まれてると思うととても気がかり。
いろんなことがあって、精神的に収まりがつかない日々なので、料理以外でもせっせ新しいことをやっていた。テラハも見て、自身の過去の行いに時を戻せるなら別の方法を取ったのに反省をしまくっていたりもした笑
ちゃんと生活できるようでありたいというのは少しずつ良くなっている気もする。
あまり話せなかった人と、ちゃんと会話できるようになったりした。
いつか言わないといつ言えるかもわからないしなという思いが、親との会話も増やした。
いろんな後悔を自分の中で卵焼きみたいにくるりくるりと巻き取って、最後綺麗な形を作れたらいいと思う。
でもまだまだ時間かかりそうだなそれ、いつかは良くなれば。それだけを思う。
この文、着地点を探して、卵焼きと絡めさせてみた結果。
人生全然上手く言ってるとはいえないのに、あんまり気が滅入らなくなった。
それだけで割と俺はすごくなったんじゃないか。前より滅入ってることなくなった。
今度は最近手に入れたカセットテープの話を書くかも。読んでくれてありがとう。