敗者寄り
勧善懲悪はわかりやすい。
嫌な奴がいて、それをボコボコにしてスカッとして楽しむのだ。反対にこっちからは悪でも向こうからしたら正義みたいな作品も多い。どちらかといえばこっちの方がわかる。だって、現実に嫌なだけな奴なんてそういない。
たまに映画で気持ちがメインじゃないキャラクター側になってしまうことがある。
全般的にうろ覚えになるけど
例えば
I’m singin’ in the rain〜という歌い出し、
傘を持った人が雨の路上で歌っている場面が有名な「雨に唄えば」という映画、
あれは大筋はわかりやすいサクセスストーリーの、ミュージカル映画だ。
「サイレント映画からトーキー(声、音ありの映画)に移行するなかで、無名の女の子が映画界で大成功を収める。」
明るい物語だ、かなり古いのに古臭さを感じ過ぎないで楽しめるし、ミュージカルシーンも非常に魅力的。展開もわかりやすい。
だから。大好きな映画だと言いたいんだけど、ある部分だけがどうしても気になってしまう。
というのは、
成功を収める女の子の裏に、
サイレント映画では活躍できたけど、
特徴的な声のせいでトーキーでは活躍できない女の人が出てくる
その女の人は性格は傲慢で、「良い性格」とは言えなかった。
でも、特徴的な声というのはそういうのとは別のところだし、性格が悪いとはいえ、最終的に、「特徴的な声の持ち主」であることが発覚して皆が失望するみたいな展開であったことは、ちょっと悲しい。
実際には実はあの美声は、ヒロインの女の子の声でした〜っていう程度の話だから大げさに受け取り過ぎてるだけなんだけど。