娯楽に生きてる
「生きてる為だけに何かをする」ということは案外あまりない気がする。
例外はあるにしろ、生きていくことに加えて娯楽の要素が入っているように思うのだ。
例えば生きていく為に必要な食事にしたって、
純粋に生きる為だけの補給ではなく、見た目の美しさ、この組み合わせで食べるのは合わないだとか、風味がいいとか。がよく議題にあがる。
バランスのとれた食事は大して気にしてない人は案外多いんじゃないだろうか。
美容にいいものや、ダイエットのために栄養素を確認するということもあるだろうが、それは生きていくためにとは違う気がする。
今は〇〇気分かなぁといって食べる、〇〇には無意識に体が欲する栄養素が含まれているのだろうか。
服装や靴だってそうだ。
もはや機能性だけで服を選んでいる人は存在しないとではないかというほど。
好きなデザインという自我はいつかは芽生えたのだろう。
本来は生きていくために必要なものとは思えない。
しかし当然私にも自我があり、このデザインは嫌だとか好きだとか選り好みしている。
その根幹は何だろう。
服に関しては確実に他人の目を意識していると思う。
それが無意識下であるとしてもだ。
だから、派手な服には惹かれないし、候補にすら上がってこない。
似合うというのもよくわからない何故そう思うだろうか、自分は帽子が似合わないだとかそういうことを思うこともあるわけだが何故だろう。
似合う似合わないは感覚的にあるものだが、実はすごく計算に基づいた感覚なのだろうか。
兎にも角にも娯楽の1つだと思う。
しかしもう生きる上では外せないほどに、生きていくことに絡みついている。
生きていけることは殆どの人にとって当たり前となり、今はその上を生きている。
過去に生きている人たち、ライフラインの現場で働く人たちのおかげで。