どうにもならないことを考えるという名の現実逃避
好きと言われて好きになることもあるんだろうか。告白されたようなことはまるで少ないから、よくわからないのだ。
年を重ねれば重ねるほどに、自分という人間が、どんなものなのか見えていっている気がする。変わってはない。ただ見えていくというだけだ。
例えばドラマや映画の悪役を、子どもの時は
それはダメだな。こいつは悪だ。サイテーだと。素直にそう思っていたけど
今なら、少し悪役の気持ちがわかる。
誠実に、「正しく」いるのは、思いの他大変で、面倒で。人によっては辛いことなのだ。
自分らしさの追求。その先で何人の人が幸せになるんでしょう。
疲れた時は、飲むヨーグルトを買って帰る。
今日はそうする。