死という言葉を書き過ぎたから閲覧注意で
訃報をまた目にする。
でもまだ死は遠く感じる。
生まれてから沢山の人が身の回りで死んでいる。いや別に特別自分まわりがってことじゃない。人並みに。
好きな著名人が死んだ。
隣の家のお母さんが死んだ。
兄の友達の母が死んだ。
同じ学校の生徒が川に溺れて死んだ。
祖母が死んだ。
祖父が死んだ。
そして同級生が若くして死んだ。
俺はこの中でも誰の死が1番印象深かったかを思い出と共に書こうとした、でもそれは違うか。だからやめる。
問題はこれまで「人間が死ぬ」ということにこれだけ直面しているのにもかかわらず、未だに自分が死ぬという事が想像できない事だ。
無になる。それは悲しいことか。
悲しいことでもないんだろうな。
ただ、一つの命が終わる。
何億回も繰り返されてきたことだ。
誰かが死ぬと、
まだ早いのにもったいないとよく言う。
自殺は良くない死に方だと良く言う。
そう思った時もあったけれど、やっぱりこれは亡くなった方に送る言葉でなくて、生きている自分達に言っている言葉だ。
きっと死んだら何もないんだろうと思う。
ないんだろうなぁ、きっと
でも残された側はいつだって寂しい。
寂しいと思われない人もいるんだろう、
それ自体を寂しいという人だっている。
でも、あっちは、寂しくない死んだら何も感じない。(本当のところはある?笑
それすらもわからない。死後の世界はないと思わせて実はあったりして。)
まだ早すぎる死は早すぎない、
もしもの先はない。その人の人生はそこで終わりだ。何歳で亡くなってしまっても
短いはない。それで終わりだ。
そういう風に考えれば誰の人生も点のように完結しているのかな、と思ってくる。日々辛いと思って生きていたくない。もしくは納得した辛さでありたい。
まぁそう簡単に「人生のつらい」から抜け出せることはないと思うが、せめて抵抗していたいと思う。
死ぬって何だろう。いつ死ぬことになるんだろう。人1人の役割ってすごく大きく見えたり、小さく見えたりする。
生きている間にあとどんなことに影響を与えられるか少し楽しみだなと思わなくもない。