Twitterの話→いじめの話→作品の話
Twitterをすごくいいなと思うのは、端的に他の人の考え方を知れることにあると思う。
仕事が大変だ辛いよね、ブラック会社からいつでも抜け出せ。というような内容がタイムラインを覆っているときもある(自分がフォローしている人の傾向もあったのかもしれんけど)。ずっと働かないで生きていける人はそうそういないし、仕事というのは何かしら辛いものがあるものだから、共感度強いんだろう。
労働の終わりは大体の人にとって遠いものだから廃れない共感だし。
それがいいかどうかは置いておいて、みんな同じこと考えてるとか、他の人が同じことを考えていることで安心出来ている人も多いと思う。
だけど、共感して安心できるということよりも、別の価値観に触れられるというのがTwitterの1番の魅力のように思う。
例え納得できなくても、そういう考え方をする人がいるんだと理解することで新しい価値観に触れられる。
それが沢山の人に差別なく優しくできるようになるきっかけになると思うんだよな。
マイノリティーの意見でも理解さえできるものであればどんどん広まっていくことが出来るという。そこが最高。
でも、伝わってほしい人には届いてないこともあるんだろうなぁと思う。そもそも見られてないとかね。
マイノリティーの意見は前より届くようになった!後は本当にそのメッセージを届けたいところまで届くかどうかだね。
今思えばクラスのいじめっ子でもワンピースは読んでたな。
あんな真っ直ぐな話なのにね。
イジメは良くないってはっきり言わないと、子ども達には伝わらないんだろうか。
まぁそういう漫画でもないんだろうけど…。
でもね、いじめで死んじゃってる人とか見ると時々思うんだよな。
道徳の授業なんていじめっ子の心には響かないわけで、それよりも直接的にそういう子が見ている好きな媒体や作品から、その行為は最低だと伝えること。それが1番響くんじゃないかなと思ったりもして。
でも、作品は道徳を学ぶ道具ではなく、エンターテイメントだから。面白ければ良いとも思うんだよね。メッセージ性なんかなくても優れているものは優れている。その中でメッセージを受け取れば受け取った人だけ考えればいいという…